産科看護師から助産師に少し遠回りして叶えた夢
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福島県立医科大学附属病院 助産技師兼看護技師
関本 優希さん
セキモト ユウキ
Profile
1995年生まれ。福島県立郡山高校卒業後、福島県立医科大学看護学部に入学。大学卒業後は、附属病院の産科病棟に看護師として勤務。2年後に福島県立総合衛生学院助産学科に入学し助産師となり、元の職場に復帰した。
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看護学部の実習で感動した助産師の仕事
子どもの頃、小児科に入院して「看護師さんになりたい」と思ったことや、母親からの勧めもあって、小さい頃から看護師を目指していました。助産師を目指すようになったのは、大学の看護学部に入学した後です。母性看護学の実習に行った際に、助産師が主体的に動いて出産に産婦さんが前向きに取り組めるような場の雰囲気を作っていました。無事に赤ちゃんが誕生した瞬間は本当に感動して、「助産師って、本当にすばらしい職業だな」と心から思いました。
大学在学中に助産師の受験資格を得ることもできたのですが、受講できる人数が少なく残念ながら私は選抜に漏れてしまいました。卒業後すぐ進学するのは学費が大変だったので、いったん助産師資格をあきらめ看護師として働くことにしました。その時の就職先が現在の職場です。
産科病棟で働いていると「やっぱり助産師になりたい」という気持ちが強くなり、職場の人たちの応援もあって、2年後に衛生学院に進学することにしました。助産学科は私より年上の学生も多く、遠回りしてもあきらめずに挑戦することが大切なんだなと改めて思いました。また、看護師として働いていた経験があるからこそ勉強の内容がイメージしやすく、すんなりと頭に入ってきて「興味がある内容の勉強は楽しい」、「遠回りした経験は決して無駄ではない」と分かったことも収穫でした。無事、助産師になることができ職場に戻って現在2年目です。
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肯定的にとらえられるお産のために
助産師の仕事は「赤ちゃんを取り上げること」だけではありません。妊娠中のお母さんの健康管理、食事・運動の指導、出産後の体調管理、母乳指導、乳児指導など、妊娠から出産、育児に至るまで、お母さんと赤ちゃんの健康を守るために関わります。私が仕事をする上で心がけているのは「お母さんの気持ちに寄り添うこと」です。出産はお母さんにとって一生の記憶に残る出来事ですが、痛みが強かったり、思うように進まなかったり、つらいことも多くあります。必要に応じて助産師が励ましの声かけをしたり、適切にケアすることで、お母さんがお産を肯定的にとらえることができると、赤ちゃんへの愛着を育めるなど、その後の育児によい影響があると言われています。分娩後「おつかれさまでした」と声をかけると、涙目で「ありがとうございます」と手をにぎってくれる方も多く、そういう時は私も「助産師になってよかった」と感じます。
大学病院はハイリスクを多く扱うため、自分だけでは抱えきれないような出来事もありますが、職場の人たちと課題を共有しながら乗り越えてきました。職場のスタッフは全員が仕事に熱意をもっているので、その姿勢にはいつも刺激を受けています。これからも一つひとつ確実に知識と技術を身につけ、実践経験5年で申請できる「アドバンス助産師」を目指したいと思います。
取材者の感想
目を輝かせ「仕事が楽しい」と話し、「お産を肯定的にとらえられると子育てによい影響がある」という関本さんの言葉を聞いて思い出したのが、ライター自身が体験した20年前のお産でした。助産師さんが子どもの誕生を一緒に喜んでくれて、産みの苦しみを乗り越えた自分のこともねぎらってくれた言葉が強く心に残り、その後の子育てをがんばる力になった気がします。
当然ですが、人は誰もがお母さんから生まれてきます。関本さんの包み込むような安心感のある笑顔で、これからもたくさん福島の「お母さん」の力を引き出し、支えていってほしいと思いました。
2023年春・新設福島県立医科大学別科助産学専攻(助産師養成課程)についてはこちら→https://www.fmu.ac.jp/home/jyosan/
ライター 齋藤真弓