心の声に耳を傾けて寄り添える看護師に
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JA福島厚生連 鹿島厚生病院
杉原 可南子さん
スギハラ カナコ
Profile
1997年中島村生まれ。学法石川高校から白河厚生総合病院付属高等看護学院に進学、この春から南相馬市にある鹿島厚生病院の療養病棟に勤務している。社会人になったのを機に、休みの日には地元で再びソフトボールを楽しむようになった。
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ソフトボールの次に見つけた新たな目標
小学生からソフトボール中心の生活を続けていたのですが、高校2年の全国大会直前に肩を脱臼してしまい試合に出場できませんでした。「本当に残念だったね」と、私のくやしい気持ちを受けとめてくれたのが、当時通院していた白河厚生総合病院の看護師さんでした。「あの看護師さんのように、私も誰かを支えられるような立場になりたい」と看護学校を目指したのが高校2年の冬でした。それからは遅くまで学校に残って猛勉強し、無事に希望していた白河厚生総合病院付属高等看護学院に合格することができました。
看護学校では中身の濃い3年を過ごしました。実習では、「看護師は人命を預かる責任の重い仕事だ」と実感する厳しい指導があり、「本当に自分にできるのだろうか」と自信を失いかけました。その時、先生方は「未熟な学生を看護師に育てるのが私達の役目だから」と、改めて私たち学生の気持ちを汲んだ指導を実習先の病院にお願いしてくれたこともあります。同じ目標に向かってがんばってきた同級生同士の支え合いも力になりました。ずっと地元にいるものだと思っていた私が、自ら希望して鹿島厚生病院に就職したのは、看護部長や療養病棟の副師長が看護学校時代の先生だったからです。小規模でアットホームな雰囲気も私には合っていると思いました。
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相談できる人がいる安心感に支えられて
こちらにきて、近所の人から「こんにちは」と挨拶されることが多くて驚きました。また、信号のない横断歩道で待っていると当たり前のように車が止まってくれるのです。病院では「新人さん?がんばって」と患者さんが応援してくれたりもしますし、鹿島区は人が温かい地域だと思います。仕事の上では覚えることが多くて、まだ心の余裕はありませんが、これからは患者さんと積極的にコミュニケーションを取って一人ひとりをよく知り、退院後を一緒に考えられる看護師になりたいと思っています。病院にいる「現在」だけではなく、「過去」を知り、「未来」には、どんな生活をしていきたいのか、患者さんの気持ちに寄り添いながら耳を傾けていくつもりです。
今は「はやく戦力になりたい」という焦りがあります。迷ったり、悩んだりした時には、プリセプターや同期の子に聞いてもらっています。ささいなことでも違った目線からのアドバイスがもらえると、納得し安心して先に進むことができます。先輩に技術面でほめられたり、患者さんに「ありがとう」と言われるとうれしくて「看護師になってよかった」と感じます。「一人ではない」という安心感に支えられながら、この病院で多くのことを学び、成長していきたいです。
取材者の感想
杉原さんには3歳上のお姉さんがいて看護師をしているそうです。小さい頃から毎日ヘトヘトになるまでソフトボールに明け暮れていた可南子さんが「看護師を目指す」と言い出した時、お姉さんには、「あなたは他人に関心がなさそうだから、看護師には向かないかも」と言われたと笑います。それでも「やってみよう」と思ったのは、肩を痛めたときの看護師さんの対応が心に残ったから。つらい経験があっても、そばで支えてくれる人の気持ちを素直に受け止め、感謝しながら乗り越えてきた可南子さん。逆境を力にできるこの真っ直ぐな姿勢があれば、看護職として、これからも多くのことを吸収して大きく成長していけるのだろうと思いました。
ライター 齋藤真弓