支援ナースの目線から福島の今を伝え続ける
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医療法人 相雲会 小野田病院 支援ナース
黒澤 和子さん
クロサワ カズコ
Profile
獨協医科大学附属看護専門学校卒。獨協医科大学越谷病院、南千住病院、東京都リハビリテーション病院の勤務を経て、2011年に災害支援の個人事務所『Hospitality Support 和心(わごころ)』を立ち上げた。阪神・淡路大震災、東日本大震災また海外での支援活動の経験を生かし、病院・介護施設・看護学校等で災害看護の講義やセミナーなどを行うと共に、小野田病院での支援活動を続けている。
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「自分にできることはないか」を考えるきっかけに
看護師になって30年、現在はフリーの立場で東京都看護協会災害支援ナースの育成養成・更新研修などにも関わっています。2015年4月からは、南相馬市の小野田病院で毎月2日間「支援ナース」をしています。
時間が限られているので患者様の病状を詳細に把握するのは困難です。そこで看護部長と相談しながら、口腔ケア・爪切り・オムツ交換・入浴介助などの清潔ケアや食事介助などを担わせてもらっています。福島県の医療機関は深刻な人手不足ということもあり、患者様や看護師の皆さんに喜んでいただければとの思いで続けてきました。
そもそも、私がこの支援活動を始めた目的は「被災地の今を広く伝えること」でした。震災から3年もすると、福島の状況が全国的に報道されることはほとんどなくなりました。私自身もここに来て初めて知って驚いた日常があります。現在も毎月11日に沿岸部で警察が行方不明者の捜索を続けていること、まるで天気予報のように放射線量を伝えていること、若い世代が減り急速に高齢化が進んでいること…。そういったことを「災害看護学」の講義や講演で、看護学生や看護師に伝えると、多くの人が「自分にできることはないだろうか」と考えてくれるようになります。
やがて私と一緒に「小野田病院に行きたい」という人が出てきました。それを病院が快く受け入れてくださり、これまで熊本県や長野県などからも支援ナースが参加しています。病院の温かい雰囲気によるところも大きいと思いますが、休日を使った無償支援にも関わらず皆さんが「来てよかった」と言いながら帰っていきます。訪問看護を長く続けてきたある看護師は、小野田病院で働くスタッフのチームワークを見て「また病棟で働いてみたくなった」と話していました。
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技術を技に変えて、知識を知恵に変えて、最善を尽くす
私は父親の介護のために2011年3月に病院を退職しました。東日本大震災があった3月11日は私の送別会が予定されていた日でした。以前から東京都看護協会の「災害支援ナース」に登録していたので、4月に大玉村の避難所に派遣されました。それが福島県との出会いです。7ヵ月後、父を在宅で看取り、いつでも「災害支援ナース」として動けるように個人事務所を立ち上げました。
2015年3月には、被災地の現状を知りたくて「福島・病院見学ツアー」に参加しました。いくつか見学した病院の中で特に印象に残ったのが、ここ小野田病院です。菊地院長が「皆さんと会えた縁は奇跡です。力を貸してください」と話した言葉が心に響いて、直接病院に連絡しました。
私が看護に長く関わってきて思うのは、人は「自分のためだけに生きても満足できない」ということです。物質的にどれだけの豊かさを得ても、人は「もっと、もっと」と何か次のものが欲しくなってしまう。ところが「誰かの役に立つ喜び」を知ることができれば、満足感は尽きることがありません。そんな幸せを日々感じられる「看護の仕事」が私は大好きです。
例えば、「あなたに看取ってもらってよかった」と言ってもらえるような場面があります。それは病院でも施設でも、紛争地帯や災害の現場でも同様です。技術を技に変えて、知識を知恵に変えて、どのような状況でも最善を尽くす。災害看護には「看護の原点」があると私は思っています。
(写真は、2017年1月掲載分でインタビューにご協力いただいた同院の看護部長・但野圭子さん[写真左]とともに)
取材者の感想
17歳でオーストラリアを一人旅した経験から、「海外青年協力隊に参加したい」と看護師を志した黒澤さん。これまでアフガニスタン難民救済事業(JIFF)や阪神・淡路大震災、昨年は熊本地震の支援活動にも参加し、「経験をすべて生かして看護をしている」とおっしゃっていました。さらに今年からは、看護の職能を活かして「東京オリンピック/パラオリンピックサポートナース」目指して東京都看護協会主催の英会話研修にも参加し活動の幅を海外にも広げているそうです。
南相馬までの長距離を毎月行き来するバイタリティー。話しているだけで明るく前向きな気持ちを引き出してくれる黒澤さんに「元気の秘訣」を伺うと、「今日を精一杯生きること」と返ってきました。「誰でも明日はどうなるか分からない。だから後悔しないように毎日を生きる」という言葉からは、複数の災害支援を経験した人ならではの人生観が感じ取れました。「水が出る、電気がつく、ご飯が食べられる、働ける。全部当たり前ではなく、ありがたいことです。誰しもが余命の中で生きているのですから、感謝しながら人生を楽しまなくちゃ」。
福島に住む私自身はどうだろう……。改めて6年半前を振り返り、襟を正した取材でした。
ライター 齋藤真弓