INTERVIEW

看護師インタビュー

会津から相馬の病院へこの先も看護師として

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公立相馬総合病院

三浦 由美子さん

ミウラ ユミコ

Profile

1984年磐梯町生まれ。会津杏林学園高等学校(現仁愛高等学校)看護専攻科で看護師資格を取得。卒業後は会津中央病院に勤務、茨城県の城北病院(循環器病棟)に1年間の出向を挟んで、7年にわたり脳外科の集中治療室と一般病棟を経験した。2013年4月より公立相馬総合病院の内科病棟に勤務している。

  • 看護師は働く場所が変わってもスキルを生かせる

    2013年4月から公立相馬総合病院で働いています。結婚を機に相馬市に来たのは2011年の7月で、その前月まで会津中央病院で働いていました。

    当時、上司や同僚からは「会津に避難してくる人も多い今、浜通りに引っ越しても大丈夫なの?」と声をかけられましたが、私自身は心配することなく嫁いできました。

    震災後も何度か相馬市に来ていたので、どんな状況かは分かっていましたし、避難区域に指定されなかったので不安はありませんでした。身近なところに子育て中の人もいました。

    私としては、こちらですぐに看護師の仕事をするつもりだったのですが、程なく子どもを授かったこともあり、出産後1歳になるまで再就職を待つことにしました。看護師の求人が数多くあり、必要とされていることはひしひしと伝わりました。日勤だけのクリニックを検討する一方、公立病院の求人に応募したのは、福利厚生や待遇面が魅力的だったからです。夫や夫の両親が子育てに協力的だったので、フルタイムでも「両立できる環境があるならやってみよう」と思いました。

    働く場所が変わっても積み重ねてきたスキルを活かせるのは、看護師という資格の強みです。再就職した後の2015年には二人目の子どもを出産し、産休・育休を取得して復帰しました。

    現在は、家族の協力を得ながら二人の子どもを保育園に預け、三交代のシフトに入っています。なかなか「自分の時間」はとれませんが、夜か朝、どちらかは子どもの顔を見ることができるので、勤務時間の長い二交代制よりも三交代の方が子育て世代には向いているかもしれませんね。

  • 誰もが家族を安心して預けられる看護を届けたい

    私が看護師を志したのは中学3年生の時です。学校の面談で校長先生から「看護師が向いているのでは?」と勧められました。小規模な中学校だったので、当時の校長先生は私のこともよく見て分かっていたのだと思います。普通科の高校に進む選択肢もありましたが、再び3年後に進路に悩むくらいなら「早めに向き不向きを見極めよう」と衛生看護科のある高校に進みました。

    私の通った学校は、高校で准看護師の資格を取り、その後2年間専攻科で学んで正看護師を目指す当時の最短コースでした。実際に学校に通い始めてからも、看護師は嫌とか、辞めたいと思うことは一度もありませんでした。父方の祖母が在宅酸素治療をしていたり、母方の祖父が腹膜透析をしていたこともあって、学ぶほどに看護をもっと勉強したいという思いが強くなっていきました。

    就職後に配属された集中治療室は、ともかく「治療」最優先で無我夢中でしたが、その後、茨城県の病院への出向を経て、脳外科の一般病棟に勤務したことで「自分の家族を安心して預けられるようなケアをしたい」という私なりの看護観が出来ていきました。寝たきりだった患者さんが、歩いて帰れるほどに快復した姿を見ると、看護師になって10年以上経つ今でも感動します。

    看護職に関心があるなら、迷いがあっても一度チャレンジしてみることをお勧めします。例え途中で進む道が変わったとしても、その勉強は決して無駄にはなりません。もし向いていれば、「看護師」の資格は、結婚や出産などのターニングポイントを乗り越え働き続ける力になるはずです。

取材者の感想

常に笑顔を絶やさず、やわらかな口調で患者さんに接する三浦さん。「実は育児と仕事の両立で時々いっぱいいっぱいになることもあるんですよ」という言葉がにわかには信じられないほど、余裕を感じる仕事ぶりです。さらに「『呼吸理学療法士』や『ケアマネジャー』の資格取得に向けて勉強したい」と少し先のことに思いを巡らせているそう。あらゆる物事の「プラス面」をおおらかに受け止めながら、これからも着実に成長し続ける人なのだろうとまぶしく感じました。

ライター 齋藤真弓
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