誰かができないことを引き受けられる存在に
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南相馬市立総合病院
小河 健さん
オガワ ケン
Profile
1973年、岩手県一関市生まれ。埼玉県の看護専門学校で看護師資格取得後、24歳で全国各地に拠点をもつ医療法人に就職。山形市の病院立ち上げに関わった後、33歳で宮城県の特別養護老人ホームに転職し、看護師長を務めた。『南相馬市立総合病院』では循環器・内科・呼吸器内科・神経内科の混合病棟に勤務している。
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女性の多い職場で中和剤になりたい
今年2月から、南相馬市立総合病院で働いています。海が近く雪の少ない南相馬市は、これまで住んでいた仙台市に気候が似ていて「住みやすそうだな」と家族で引っ越してきました。原発事故の影響は全く心配していません。小学生の子どもも元気に外遊びをしています。
私の看護師としてのキャリアは21年目に入りました。この病院は「クリニカルラダー制度」を導入していて、私のように外部から来た看護師の職能レベルをきちんと評価してくれます。それは待遇面にも反映されますので、家族を養う上では非常に重要な要素です。
転勤のある病院で働いていたこともあるので、職場が変わることに抵抗はなく、面接の際は「女性の多い職場で中和剤的な存在になりたい」と自己PRをしました。私のモットーは「自分に要望されたことは、すべてプラスに受け止める」ことです。7月には、初めて夜勤専従のシフトに入りました。例えば、夜勤ができない女性看護職が多いのであれば、私は「できないことを引き受けられる存在」でありたいです。私の姿を見て「自分もできそう」と他にも夜勤専従を引き受けてくれる人が一人でも増えれば、働きやすい職場づくりに貢献できると思います。夜勤でも規則正しい生活なので、今のところ身体への負担はそれほどありません。また、家でまとまった時間を過ごすことができるようになったこともメリットだと感じています。
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看護の仕事を長く続けていくために
私は看護の仕事が好きです。なぜなら「人とふれあうこと」が好きだからです。どんな仕事にも逆境はあるものですが、悩みの尽きなかった30歳代の頃、同僚から「自分の悩みは大きいけれども、人の悩みは小さい」と言われてハッとしたことがありました。本当にその通りで、誰かに悩みを打ち明けて共有することで辛さが半減したり、問題が解決していくことがあります。だとしたら、人は一人で生きるよりも、誰かとつながり話し合った方がいいのです。もちろん、これは看護の仕事にも言えることで、看護師が患者さんに声をかけて「不安な気持ち」をさりげなく受け止めることができると効果的な看護につながると思います。
新卒後に勤務した病院では、急性期外科で手術室も経験しました。20歳代の私は、知識と技術を身につけることに懸命でしたが、今振り返ると「謙虚さ」が足りませんでした。30歳代になり介護施設で働くようになると、なにより大事なのは人間性だと思うようになりました。まずは「信頼される存在になる」。看護の技術や知識を発揮できるのはその先のことです。今、私は44歳になりました。これからも好きな仕事を長く続けていくために「オンオフの切り替え」を大切にしながら、自制心と自立心をもって、より謙虚さを磨いていこうと思います。
取材者の感想
小河さんの趣味は「人間ウオッチング」。初対面の人とも不思議に打ち解けてしまう人柄は、その観察力と想像力の賜物のようです。オフタイムの趣味さえも仕事と切り離せない印象がありますが、「これは、もはや職業病かもしれません」と明るく笑い飛ばします。
看護師を目指す原点は、近所のお年寄りにかわいがられた子ども時代にあるそうです。「例えば回覧を届けると、ありがとうと声をかけてお菓子を持たせてくれたりして、誰かに感謝されることのうれしさを教えてもらいました」と小河さん。「感謝された時の充実感と、緊張感のある局面を乗り越えた時の達成感」に支えられてきたという小河さんの看護経験。これから看護職を目指す人たちにも、この2つをぜひ味わってもらいたいと話していました。
ライター