問題解決思考のできる看護職を育てたい
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医療法人社団 青空会 大町病院 看護部長
藤原 珠世さん
フジワラ タマヨ
Profile
浪江町出身。南相馬市内の高校を卒業後、若くして結婚し家庭に入った。二人の子どもが小学生になった28歳で猪又病院(現在の大町病院)に就職、同時に双葉准看護学院で学ぶ。正看護師の資格を取得したのは39歳。平成17年から現職。
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大切なのは「医療を存続すること」
当院は、明治10年開設の猪又病院を前身とする地域密着型の病院です。東日本大震災とその後の原発事故で、約100人いた看護職スタッフは一時17人に減りました。5年以上が経過した現在、県外からの応援や非常勤も合わせてその数は80人にまで回復しましたが、依然として人手不足で地域の医療ニーズに応えきれない状況が続いています。
80人の看護職スタッフのうち常勤は69人。その中には産休・育休などで休んでいる職員が7人含まれます。さらに来年、南相馬市で再開する双葉准看護学院の実習受け入れのために1名が「実習指導」の研修に出ています。人手不足の中で「休んでいる人がいる」ことや「研修に出ている人がいる」ことは問題ではありません。看護職が足りないことによって「医療が存続できない」ことが問題なのです。現状の人数で、どうすれば医療を存続できるのか。大切なのは、今、ここで何ができるのかを一人ひとりが考え続ける「問題解決思考」なのだと思います。
2011年3月11日、系列の介護老人保健施設「ヨッシーランド」が津波に襲われ、当院には多くの利用者が救急搬送されました。さらに原発事故が起きて、薬品も食材も届かない状況になり、子どものいる世代を中心に看護スタッフがどんどん減っていきました。私たちは人手のないなかで、やむを得ず患者さんのベッドを集約し、留置カテーテルを用いておむつ処置の回数を減らしました。「今できることをするしかない」。どうすればいいのか、一人ひとりが考えて判断していくしかない場面の連続でした。3月19日から21日にかけて、すべての入院患者さんが病院から搬送されることになり、病院は一旦閉めることになりました。ターミナルの患者さんの搬送を私がためらっていた時、「もうここは医療のできる場ではない!」と院長に一喝されたのを覚えています。しかし「医療従事者として医療を提供するのが私たちの使命。必ず病院は再開する」という院長の言葉通り、4月4日には外来を再開しました。
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80歳の看護師も働けるマネジメントを
再開しても看護職スタッフは足りない。それはもう受け入れて「うちの病院を選んでくれる人」を探す状況が続いています。県外から応援に来てくれた看護職スタッフには、70歳代の人もいます。先日の就職説明会では、50歳で正看護師取得のために勉強中という方が二人、熱心に話を聞いてくれました。うれしくなって「あなたは絶対にうちの病院に来た方がいい、きっと看護師として成長できます」と伝えたら、「そんな気がしてきました」と笑顔で応えてくれました。
日本看護協会は「80歳でも看護職として働ける」と打ち出しています。しかしそれは、いくつになっても働ける場所がなければ、現実味のない話です。もし当院でそれを実現していくならば80歳の看護職が「できること」をマネジメントしなければなりません。そのためには、組織としてきちんとした「基軸づくり」が急務です。
もちろん、若く優秀な看護職が入ってきたとしても、組織としてのレベルが維持されていないと人は育ちません。そういう想いから、今年私は、認定看護管理者を取得しました。自分がもっている看護の感性と、これから育つ若い看護職の感性をシンクロさせる必要もあると思ったのです。後進を育てるために、今年は師長も認定看護管理者の研修に出ています。師長は「人手が足りないから辞退します」と言ったのですが、「あきらめないで、どうすれば研修に行けるのか考えてみて」と話し納得して出てもらいました。
5年後には、「ぜひここで働きたい」と看護職が集まってくる病院にしたいのです。震災後ずっと閉鎖していた病院併設の託児施設があったのですが、昨年10月に近くにある病院との共同で再開しました。できない理由ではなく、できる方法を考えれば、いろんな糸口が見つかります。来年には津波で流された「ヨッシーランド」が再開します。この施設の再建は、復興の証でもあります。地域医療の要として、これからも地域の住民に寄り添える看護を提供していくために、問題解決型の人材確保・育成に力を入れながら、明るく楽しい職場づくりをしていきたいと思います。
取材者の感想
遅まきながら、「看護職が天職」と感じ、会津若松市内の病院に単身赴任して39歳で正看護師の資格を取得した藤原看護部長。「あたり前のことをして『ありがとう、あなたに出会えてよかった』なんて言われる仕事、そうはないですよ」と心から楽しげに話します。「人よりも何かプラスαがほしくて」介護保険制度が始まると同時にケアマネージャーの資格も取得。看護職のかたわら、在宅の介護サービスに関する相談にも応じてきたそうです。
「何歳になっても仕事は続けたい」と話す一方で、「時期がきたら看護部長は降ります」ときっぱり。「同じ人が長く務めると人は育たないし、新しい発想が生まれなくなります。それは私の本意ではないから」。
最近は、12年後、70歳になった時に「自分はなにをしていたいのか」を自問自答しているそうです。「まずは震災の時の経験を総括して、それからボランティアのあり方を考察してみたい」。「地域のボランティアを立ち上げてサロンをつくろうかな」、「ずっと元気でいられるような施策を提案して」……などなど、次々と湧き出るアイデアには圧倒されてしまうほど。この前向きな生き方が、周りの人たちの力になってきたのだろうなと感じ入りました。
ライター 齋藤真弓