看護の仕事に誇りを持ち人として成長してほしい
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公立相馬総合病院 看護部長
井上 育子さん
イノウエイクコ
Profile
相馬市出身。地元の高校を卒業後、自立できる職業に就くことを目指し首都圏の学校で看護師資格を取得。横浜市内の病院に4年間勤務して結婚をきっかけにUターンした。現在の病院に勤務して34年になる。自分の看護師としての経験が「これからの世代がのびのび育つ根っこになってくれればいい」と話す。
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使命感と連帯感が強まった東日本大震災
当病院は、相馬市と新地町で構成する相馬方部衛生組合が運営しています。昭和45年の開設以来、地域医療を支える大きな役割を担ってきました。現時点で内科・外科・整形外科・小児科・泌尿器科・耳鼻科など約20の診療科を標榜し、230床に計160名の看護職(看護助手を含む)が働いています。
5年前の東日本大震災では、3月11日の夕方遅くから津波の被害を受けた患者さんが大勢来院しました。勤務時間外の病院スタッフも3人が津波で亡くなっています。その後、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きると、南相馬市をはじめ避難地域となった浜通りからたくさんの患者さんが来院されました。一番問題になったのは薬の確保です。南相馬市内の病院やクリニックが閉鎖されたので、「薬がほしい」しかし「何を飲んでいたのかは分からない」という患者さんが多く、混乱する場面も見受けられました。
ここは43km地点ですから避難区域には該当しませんが、当時は放射性物質に対する不安感もありました。看護師たちにも「ここにいても大丈夫なのだろうか?」という不安があったと思います。正直なところ、私自身も不安でした。しかし、当時の院長が話した「避難する時は、職員も患者も家族も一緒。それまでは国の指示に従う」という言葉をみんなが信じて、大変な時期を一緒に乗り越えたのです。あの時の経験は、看護師としての使命感や連帯感を強くする大きなきっかけになったのではないかと思います。
実は、当病院の看護師の離職率は震災の前後を通じて高くはありません。しかし、やはり人手不足になっているのは事実です。なぜか? その理由はとてもシンプルです。
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院内保育所開設で「続けられる環境」づくり
震災後、急に育児休業するスタッフが増えました。それまでは5~6人だった育児休業者が、ここのところは常に15~16人います。少子高齢化のこの時代に、子どもを産むことはすばらしいこと。看護部長としても「丈夫な子を産んでね」と心から応援します。かつて私が子育てをした時代には、産休だけで復帰して両親などに子どもを預けて復帰する看護師がほとんどでした。今はそうではありません。ほとんどが1年間の育児休業を取得してキャリアを継続しています。職場復帰にあたって子どもを預けるにしても、祖父母が現役で働いていたりもしますし、保育園のお迎えに間に合うように働きたい、行事にも参加したいという親としての声に応えていかないといけません。この病院も何らかの対策をしていかないと、人材が流出してしまいます。そこで病院として現在考えているのが、「院内保育所」の創設です。近々具体的に動き出すことになっています。
周辺整備も当然大事ですが、全国的に看護師が離職する原因として上位にあがるのは「人間関係」です。常日頃のコミュニケーションで風通しを良くしながら、働きやすい職場づくりを心がけること。それは決して特別なことではありません。看護師一人ひとりが自分を飾らずに、相手を認めて向き合うことが大切なのではないでしょうか。それは、患者さんとのやりとりにおいても同じことです。自分の置かれた立場で、今できることに全力を尽くす。そうすることでこそ人は成長できるし、看護の仕事に誇りを持つことができるのではないかと私は思っています。
取材者の感想
この病院では、先輩看護師が新人看護師をフォローする「プリセプター制度」を導入しています。井上部長は、新人はもちろんのこと、「指導する側であるプリセプターのフォローが大切」と話します。先輩看護師が後輩に対して「どうして分かってくれないんだろう?」と悩んだり、「しっかり指導して」と周りに言われることが負担になることも多いそうです。
それでも「人が好きであれば、つまずきも自分の力にできる」と井上部長は話します。看護部長として相談に乗ることもありますが、「正解は自分で見つけるしかない」と考えているそうです。「迷いながらも、本当にこれでいいのか?と答えを探し続けるのが大事」、「これでいいのか?と迷い続けるからこそ、看護師として成長できる」、「これでいいんだ、と思ったらそこで終わりですよ」、「私自身まだ悩み続けていますから」。その言葉の数々には、多くの困難を乗り越えてきた人の謙虚な姿勢と生き方がにじみ出ていました。
看護師の人材不足解消にも、今のところ特効薬はありません。それぞれの立場で迷いながらも、立ち止まらずに、あらゆる手立てを尽くすことでこそ前に進めるのかもしれないと改めて感じます。
ライター 齋藤真弓