INTERVIEW

看護師インタビュー

保健師として地域の復興に携わりたい

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福島県 相双保健福祉事務所 健康福祉部 保健福祉課 児童家庭支援チーム 保健技師

石本 恵理子さん

イシモト エリコ

Profile

1995年生まれ。東日本大震災後の原発事故で県外や会津若松市などで避難生活を送った。高校卒業後は栃木県の看護大学に進み、看護師と保健師の免許を取得。さらに養護教諭の免許を取得するために新潟県の大学へ進学し、養護教諭としての勤務を経て、2021年4月より現職。

  • 困っている誰かの役に立てる存在になりたい

    私は大熊町で生まれ育ち、東日本大震災の発生当時は高校1年生でした。震災発生の翌朝に避難した田村市の体育館では、保健師だけではなく、町の職員の方々が昼夜を問わず、避難した住民のために働いてくれていました。保健師などの医療職や町職員の人数が限られていたため、町の呼びかけで、私は体調不良の方や処方を希望する方がいないかを確認する中高生ボランティアに参加し、多くの方に声をかけました。この時の看護師や保健師、町の職員の方々が避難住民に寄り添う姿や、ボランティアを通じて関わった方々の「薬が無くて困っていた」「聴きに来てくれて、ありがとう」という感謝の言葉が「困っている人の役に立ちたい」という思いに繋がり、看護職を目指すきっかけになりました。

    高校時代を過ごした会津若松市でも保健師や町職員の方々が避難所や復興住宅を訪問していました。そこでは、「健康で不安なことはないですか。慣れない地域で、友人や家族と離れている環境での生活は不安ですよね」と避難者の気持ちを汲み取り、寄り添ってくれました。私自身がそのサポートにとても助けられたので、「私も健康支援の部分で恩返しがしたい」と思い、看護大学に進学を決めました。大学では、看護師と保健師の資格を取得しましたが、こどもへの健康支援について学びたいと思い、就職はせず進学しました。その後、養護教諭の免許を取り、養護教諭として学校で2年間勤務しました。結婚・出産で退職し、仕事復帰のタイミングでこれまでを振り返り、「実際に避難を経験したからこそ、避難生活を送っている住民の方の役に立てるのではないか」と思い、福島県保健師の試験を受けました。

    採用後は南相馬市にある相双保健福祉事務所の児童家庭支援チームに配属になり、主に母子保健を担当しています。具体的な業務内容は、小児慢性特定疾病患児やそのご家族への支援事業、思春期保健事業、避難生活を送っている乳幼児のいる家庭への訪問事業、相双管内市町村の乳幼児健診の運営支援等です。

  • 相双地区で安心して子育てを

    保健師は健康づくりや疾病の予防に取り組む一方で、持病があっても住み慣れた地域で安心して暮らしていけるよう支援をしています。例えば、在宅療養をしているお子さんのご家族から「こどもが利用できる施設や制度はどのようなものがありますか」といった問い合わせがあれば、一時預かりなど利用できるものを紹介し、関係機関と情報共有しながら利用に向けて連絡調整を行います。

    現在、被災市町村にお住まいの方は、被災市町村出身の方だけではありません。県内外から移住し、育児協力者が身近にいない方もいます。そのため、核家族ならではの育児不安や悩みへの対応、子育て施設や子育て支援サービスの情報提供を行い、相双地域で安心してこどもを育てられるように地域の資源をお伝えしています。

    私自身も母親の立場や被災時の経験から共感できることが多くあり、ご家族から「助かりました」「相談できてよかった」などの言葉をいただけるとうれしくなります。住民の方々の役に立てていることが感じられるようになり、出産前よりも仕事が楽しく、やりがいを感じるようになりました。郡山市で避難生活を送る両親も、ひと足先に相双地区で仕事をしている私を応援してくれています。これからも、住民の方々が希望する地域生活を送れるように一つひとつの声を聞いて、関係機関と連携をしながら、福島県民の健康支援に努めていきたいと思っています。

取材者の感想

石本さんは、人生の岐路に立った時「今の自分が誰かのためにできること」を選択し、着実にキャリアを積み重ねてきた人だと思います。周りの状況を見ながら、冷静に最善の判断ができるスキルは、さまざまな場面で活かされるはずです。「子育てと仕事の両立が楽しい」と話す笑顔は、とても輝いていました。現在の仕事では、思春期保健で中高生に関わることもあるそうです。「私もあんな人になりたい」と若い世代たちが憧れるロールモデルとしてさらに活躍していってほしいと思いました。

ライター 齋藤真弓