INTERVIEW

看護師インタビュー

准看護師から正看護師へ学び直し後に目指す看護

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医療法人社団 養高会 高野病院 精神科病棟副主任看護師

吉田 夏樹さん

ヨシダ ナツキ

Profile

1978年いわき市生まれ。高校卒業後、いわき准看護学校を経て舞子浜病院に入職。精神科の急性期治療病棟勤務を経て、2014年に広野町の高野病院に転職した。2018年に看護師国家試験に合格。現在、精神科病棟副主任として、主に認知症の患者さんの看護を担っている。

  • 病院の全面的な支援を受けて国家試験を受験

    昨年春、40歳で正看護師になりました。長く准看護師として働いてきて「いつかはキャリアアップを」と思っていたのですが、前の職場は急性期の精神科だったこともあり、なかなか勉強をする時間が取れませんでした。高野病院の資格取得支援制度が充実しているのを知って、思い切って転職したのが36歳の時です。当院は精神科があり、これまでの経験が活かせると思ったことから転職に迷いはありませんでした。同じ医療業界で働いている妻も賛成し応援してくれました。

    入職後の1年目は仕事に慣れるために病院の業務に専念し、2年目に放送大学、3年目から郡山市の専門学校(通信制)で学んで国家試験を受けました。学費の支援はもとより、スクーリングや試験の日を病院が特別休暇扱いにしてくれるのは本当に助かりました。学校に行くと「今日は夜勤明けだから眠い」と言う学生もいたので、私は随分と恵まれていたと思います。

    当院は、他にも働きながら正看護師になった同僚が多いので、休むことに後ろめたさを感じることはなく、経験者の貴重なアドバイスをもらうこともできました。また、二交代勤務体制で夜勤後は明け、その翌日が休みというシフトなので、時間を有効に使うことができたと思います。

  • 積極的に最新の知識を学び、吸収していきたい

    私が看護職になった20年前と比べ、現在看護に対する考え方は大きく変わっています。国の施策なども含め学校で改めて学び直し、自分なりに看護を見つめ直すことができたことは収穫でした。「入院から在宅へ」という地域移行は大きな流れです。患者さんが回復して退院していくうれしさは看護職にとってかけがえのない原動力ですが、当院の場合、必ずしも「良くなって退院する」患者さんばかりではありません。病院から介護施設に移ったり、在宅医療につなぐケースが大半です。

    原発事故後、避難していた方が「最期はふるさとで」と戻ってくることもあります。当院は、急激に高齢化が進んだ地域にあり、認知症の患者さんが圧倒的に多く、今まで私が関わってきた精神科の看護が通用しないこともあります。さらに認知症の看護は「こうすればよい」というケアメゾットが定まっていないので、外に知識を求めていかないと取り残されてしまいそうな危機感があります。これからは積極的に研修などに参加して最新の知識を学び、吸収しながら、患者さんご本人とご家族が「どうすれば満足できるのか」を考えた看護をしていきたいと思っています。

取材者の感想

吉田さんが看護に進もうと思ったのは、子どもの頃、祖母の付き添いで病院に行ったのがきっかけだったとか。「誰かの役に立てる仕事に憧れたのがスタートラインでした」と振り返ります。精神科の急性期にいた前職の15年は、「1日として同じ日はない」ほど変化に富んでいて、毎日があっと言う間に過ぎていったそうです。「患者さんが攻撃的になっていると〝今は、とても辛いんだな〟と思って接するようにしていました。その考え方は今も変わりません」と吉田さん。

「看護師を辞めたいと思ったことは一度もない」という言葉には、天職に就いた人の迷いのなさがありました。取材者の「看護職に向いている人は?」という問いに返ってきたのは「人の役に立ちたい人」という答え。中学生になったご自身のお子さんが医療職を目指していると、笑顔で教えてくれました。

ライター 齋藤真弓
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