INTERVIEW

看護師インタビュー

環境を整えて実現させた患者さんに寄り添う看護

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医療法人社団 青空会 大町病院 副看護部長

高橋 百合子さん

タカハシ ユリコ

Profile

1977年、南相馬市生まれ。福島県立総合衛生学院看護学科卒業後、猪又病院(現・大町病院)に入職。途中、中通りの民間病院勤務を経て大町病院に戻り、今年4月から副看護部長に。3歳と0歳、二人の子育てに奮闘しながら、管理職として看護職が働きやすい職場づくりに取り組んでいる。

  • あらゆる世代の看護師が仕事を続けられるように

    東日本大震災以来、当院は深刻な看護師不足が続いていました。最近はようやく人員が増え、看護職が「自分の都合で休めない」状況はなくなってきています。それでも、いまだに再開できていない病棟はあります。「看護職が誰も休まない」前提なら稼動する病棟を増やせますが、当院では、まずは働く人がきちんと年休を取得できる人員配置の実現を優先しているところです。

    南相馬市は、保育園の待機児童問題も深刻です。特に3歳未満児の定員は限られていて、私の長男と次男もこの春にようやく認可保育園に入園できました。それまで利用していたのが、当院と小野田病院が共同運営する託児所「にこにこハウス」です。この託児所があったおかげで、出産後は2回とも1ヵ月の育休で復帰することができました。今は時短制度や法定の育児時間を使い子育てと仕事を両立しています。

    子育て中の世代に限らず当院では様々な働き方のバリエーションを設けています。半日だけ、2時間だけのパートタイムや日勤・夜勤専従のスタッフもいます。子どもが小さいうちは日勤に入って、成長して学費が必要になったり、子どもが手がかからない世代になったら夜勤を多くこなしてもらうなど、ライフステージに合わせた働き方を設けることで、看護師の人材確保を進めてきました。

  • 患者さんは身をもって多くのことを教えてくれる

    ありがたいことに震災後は全国各地から応援の看護師が集まってくれました。各自が自分のやり方で仕事をすることも多く、現場では混乱を招くこともありました。そのため、来てくれた人がすぐにスムーズに働けるような基本的なルールづくりが必要とされました。この時に必要に迫られて行った業務の洗い出しが見直しにつながり、それまで慣例的に看護職が行ってきた専門外の業務などを整理し、効率化を図ることができました。業務の無駄を減らしていけば、看護師は患者さん一人ひとりに向き合う時間を増やすことができます。

    管理者の立場で言えば、看護の質を上げるために「患者さんのそばに行ってください」ということになるのですが、私自身、個人的には「看護師は患者さんからしか学べないことが多い」と思っています。人生の大先輩であり、身をもっていろんなことを教えてくれる患者さんは「先生」です。病気のことだけでなく、患者さんが教えてくれる地域の歴史や生活の知恵は看護職一人ひとりの力になります。看護の質を上げるためだけにベッドサイドに足を運ぶのではなく、一人の看護師として、人間として多くの学びを得て成長するためにベッドサイドに足を運んでほしいのです。また、看護師は病院の中にいる患者さんに焦点を当てがちですが、患者さんは社会の中の一生活者です。生活に寄り添った看護を行うためにも、看護職はベッドサイドにいる時間を増やす必要があると思うのです。

    ここ数年来、ずっと私が目指してきた「患者さんによりそう看護」が大町病院でわずかではありますが、具現化できるようになってきました。看護師の仕事がどんどん楽しくなってきています。今後は、専門職として「看護師がするべきこと」「看護師にしかできないこと」を模索すると共に、患者さんに寄り添う看護を実現するため社会福祉士の資格取得に向けた勉強を続け、退院調整の場面に役立てていきたいと思っています。

取材者の感想

取材中にも実習生受け入れや退院調整など問合せの電話が入り、多忙な日常がうかがえた高橋さん。子育て中で勤務時間に制限がある中でも、地域医療を支えている大町病院の管理職として、大きな責任を担っています。看護師になって20年、情熱を失わずに成長を続ける高橋さんの姿は、これから活躍する若い世代のロールモデルとしても貴重な存在になりそうだと思いました。

ライター 齋藤真弓
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