働き続けられる職場を自分たちでつくろう
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医療法人社団 青空会 大町病院 看護副部長
遠藤 利充さん
エンドウ トシミツ
Profile
1978年、相馬市生まれ。県内の公立病院、民間病院を経て2006年より大町病院に勤務。2015年に看護師長になり、今年9月に看護副部長に就いた。ケアマネジャーの資格を持ち、介護保険適用ベッドの患者さんに対するケアプラン提供も行っている。
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その人のもつ「力」を引き出すのが看護
ある人の言葉の引用ですが、私はずっと「自然治癒力を高める看護をしたい」と思ってきました。人はそれぞれ色々な意味で治る力(前向きに生きる力)を持っていて、それを患者さんから引き出すのが看護職ではないかと。肉体的な痛みがあったり、心が傷ついていたり、社会的に孤立していても、本人に何かしらの意欲があれば、そこに変化が生まれます。それは、身体の変化だったり、気持ちの変化だったりと状況で変わってきますが、その変化を引き出し、その人らしく生きることを支援することが看護なのではないでしょうか。病院での治療や生活支援、退院支援も患者さんの意欲やその時の看護で大きく結果が異なることを、これまでの経験を通して実感してきました。
そして、同じ人がいないように、看護も常に変化していくものであると思います。だからこそ、学び続けることで、自分自身の力も引き出していかなかればならないのです。同じ日常が続いたとしても、決して同じ一日はなく、今ある瞬間がとても大切な人生の一部であると感じています。
意欲に関して言えば、働く側も同じです。自分次第というのは、看護職にも言えることで「誰かにやらされている」と思っている限り不満が膨らむばかりで、いい看護はできません。若い頃の自分がそうだったので、よく分かります。私は新卒で就職した病院で、整形外科病棟に配属されました。今思えば考え方次第でどうにでもなったのですが、どうしても高度急性期の看護を経験したくなり、2年で転職しました。そこで脳神経外科と心臓血管外科のICUに配属され、最初はやりがいを感じて頑張っていましたが、慣れると日常になってしまい、「職場を変えれば自分も変わるかもしれない」と再び転職を考えるようになりました。
何かを成し遂げたわけではなかったのですが、「もう医療はいいかな」と若さゆえの世間知らずな自己完結的選択をしました。そして当時、高齢化社会における看護・介護に興味があり、介護分野に行こうと思い当院に来ました。病院からいずれは系列の介護施設に配属されるはずでしたが、震災もあったので、病院勤務のまま現在に至っています。
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自主的に考えて動くことで得られる成果
3年前に当院で師長になり「どんな職場にしたいか」真剣に考えました。深刻な人手不足が続く中、なにより「働き続けられる職場にしよう」と取り組んだのが、業務量の平均化です。個人に負担を集中させるのではなく、業務を分割して誰かが急に休んでも周りでフォローできる体制を作りました。これは上から言われたことではなく、師長として自主的に始めたことで、スタッフに時間や業務量、人数配分のデータをとりまとめて提示し、みんなで納得して取り組めるようにしました。即効性はありませんが、やがてじわじわと職場の雰囲気が変わり始めました。権限がなかった若い頃は不満と文句だらけだった自分にとって、これは貴重な成功体験でした。
改めて管理職の関わり方の大切さを実感し、もっと成長したくなって、認定看護管理者教育課程のセカンドレベルを修了しました。これから目指していきたいのは、主体的に考え「自分たちがこの病院を支えているんだ」と自信と根拠をもって行動できる看護スタッフの育成です。何らかの成果があれば看護師一人ひとりの自信につながりますし、次の世代に成長をつないでいくこともできます。この連鎖が上手くいくように、当院で自分ができることを考え、実践し続けていきたいと思っています。
取材者の感想
遠藤さんに「もう、介護施設で働くつもりはないのですか?」と問うと「今はここで自分ができることを精一杯やるだけ」と覚悟を聞かせてくれました。気付けば勤続12年、今までで最も長く勤務しているのが、この大町病院だそうです。「どこに行っても全部のマイナスをなくすことはできません。プラスの部分が少しでも多ければ、全てをひっくるめて、ここで働いていてよかったと思えるようになるのだと思います」と遠藤さん。「ずっと病院の中にいると、変化が見えにくくて当たり前になってしまうので、時々は自分たちが成し遂げたことを振り返っていきたいですね」。
意識が変わらないと、環境も変わらないことを身をもって経験してきた遠藤さん。説得力のある言葉で、職場の人たちに大きな影響を与えてくれそうです。
ライター 齋藤真弓