INTERVIEW

看護師インタビュー

夢を叶えて看護師に浜通りで新たな一歩を

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JA福島厚生連 鹿島厚生病院

今井 美来さん

イマイ ミク

松﨑 千穂さん

マツザキ チホ

Profile

この春、白河厚生総合病院付属高等看護学院を卒業した二人。今井さん(写真左)は玉川村出身、松﨑さんは郡山市出身だが、共に自分から南相馬市の『鹿島厚生病院』を希望して入職した。働き始めて2ヵ月、現在の心境とこれからの夢などを聞いた。

  • 「ここで働きたい」と希望した理由

    ーーー『鹿島厚生病院』の印象は?

    【今井】急性期病棟に配属されました。看護師の業務はたくさんありますが、チーム全体で「忙しいを理由にしない看護」を目指しています。どんな時も一人ひとりの患者さんに笑顔で向き合う先輩たちを見ると、素直に「すごい」と思いますし、自分もそうありたいと思う毎日です。

    学生の時、インターンでも当院に来ていて、看護師と患者さんのあたたかいやりとりを見て「ここで働きたい」と強く思いました。「浜通りの看護師不足」を知ったことも志望理由の一つです。

     

    【松﨑】私もインターンで当院に来ていました。私が働いている療養病棟は、入院期間が長かったり、何度も入退院を繰り返す患者さんが少なくありません。そんな中で、患者さんの個性を大切にし、丁寧な声かけやケアをしている先輩たちの姿を見て感動しました。例えば、口腔ケアを拒否する患者さんに私が戸惑っていたところ「少し時間をあけて声をかけてみて」と先輩職員に言われ、その通りすると受け入れてもらえたことがありました。患者さんに合わせた時間の使い方が大切なのだと実感し、それが個性の尊重にもつながるのだと思いました。

     

    ーーーなぜ看護師になろうと思ったのですか?

    【今井】中学2年生の時「国境なき医師団」の講演を聴いて、戦火を恐れずに活躍する医療関係者に憧れました。海外で働ける看護師になりたくて、高校は留学ができて看護学校に推薦枠があるところに進学しました。高校の1年間、ブラジルに留学した時の体験は、現在の看護観にも大きく結びついています。ほぼ言葉が通じない国で過ごした私は不安でいっぱいでした。それは、突然病に倒れた患者さんにも共通点があると思います。言葉が出ない時でも理解しようとしてくれる人がそばにいると安心できるのです。留学していた時、言葉が通じなくて居心地が悪いこともありましたが、コミュニケーションをとろうとしてくれる人がいると「あぁ、私はここに居ていいんだ」とほっとすることができました。笑顔は「あなたを理解したい」と伝えるきっかけになります。この留学以来、「笑顔で患者さんに接する看護師になりたい」と思うようになりました。

     

    【松﨑】小さい頃は介護職を目指していました。曽祖母が入所していた施設のスタッフがいつも明るくお年寄りをケアしていて、「私もあんな人になりたい」と思ったのです。高校3年になって、進学を考えるようになった頃、大好きな祖母の姉が胃がんで手術しました。見る影もなく痩せてしまった姿を見ても私には何もできなくてとても悔しかったのですが、看護師さんが自宅に来て、最期まで丁寧に看護していました。その姿を見て、看護師の資格があれば、家族のように寄り添いながら医療的なケアまでできることに気づいて「看護師になろう」と決意しました。看護学校に入学した後も勉強には苦労しましたが、覚悟をもってがんばっていると周りの人が助けてくれます。看護学校の先生や、今井さんをはじめ同級生のみんなにとても感謝しています。

     

  • 目指す看護ができる環境があるから

    ーーーこれからどんな看護師になりたいですか?

    【今井】まだ病棟の仕事を覚えることで精一杯ですが、看護学校で学ぶうち「がん看護」に関心をもつようになりました。乳がんを患いながら出産した女性の「ママが生きた証」という本を読んで、希望を見失わずに生きる人を笑顔で支えたいと思うようになったのです。そのことを師長さんに伝えたところ、病棟でがん患者さんの看護を担当させてもらえることになりました。看護の仕事は、今日分からないことがあっても、その日の夜に調べて明日には患者さんに生かしていくことができます。できることが増えれば、達成感もありますし、成長もできるはずです。がん看護を専門にするなら、いつかは認定看護師を取りたいですが、まだ「国境なき医師団」への憧れもあります。また、いつかは師長を目指したいという希望もあります。これから先、目標は変わっていくのかもしれませんが、ずっと憧れてきた「看護師」は一生の仕事にしていくつもりです。

    【松﨑】私はこの病院で、これから先もずっと療養型の看護をしたいと思っています。鹿島区は、若い世代が原発事故の避難などで離れて、高齢者世帯が圧倒的に多い地域です。人生の先輩方に対して、自分ができることを見いだして「一人ひとりにあった看護」を実践していくのが私の夢です。経験を積んで、いずれは訪問看護もできるようになりたいと思います。

    私は小さい頃から人見知りで、自分の思いを伝えられなかったり分からないことも聞けないタイプでした。職場ではプリセプター、師長、看護部長さん他、病院のスタッフがさりげなく背中を押してくれるので、少しずつ成長できているという実感があります。今回、初めて実家を離れたことで、親はとても心配していましたが、最近は「ちゃんと頑張っているね」と認めてくれるようになりました。

取材者の感想

「優等生のやさしいお姉さん」という印象の今井さんと「何事も一生懸命で、つい応援したくなる」松﨑さん。それぞれの看護観に違いはあっても、「看護職になりたい」と熱意をもって入職したことが伝わってきました。さらに二人が口を揃えて話してくれたのは、「一人では背負いきれない思いを共有できる相手がいるのは幸せだ」ということ。改めて、同期という存在の大切さを実感しました。今年は6人の看護学生が『鹿島厚生病院』のインターンに参加する予定だそうです。

ライター 齋藤真弓
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