INTERVIEW

看護師インタビュー

助勤で鹿島厚生病院へ日々学び成長中です!

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JA福島厚生連 鹿島厚生病院

石井安彦さん

イシイ ヤスヒコ

Profile

1986年、福島県塙町生まれ。地元の高校を卒業後、郡山准看護師高等専修学校へ。さらに埼玉県の上福岡高等看護学院に進学し、働きながら看護師資格を取得した。その後、首都圏の総合病院や訪問診療クリニックで計9年間の経験を重ね、2016年4月に塙厚生病院に入職。この4月から鹿島厚生病院に助勤として赴任し内科病棟に勤務している。

  • 「また仕事をがんばろう!」と思える環境

    『鹿島厚生病院』の看護師不足を支援するため、同系列の「塙厚生病院」から赴任しています。正直なところ、助勤の話が出た時には引き受けるかどうか迷いました。ふるさとの塙町に戻って1年、「地元でやっていこう」と覚悟を決めたばかりだったからです。一方で、「自分を評価して、期待してくれているんだろうな」とも感じたので、思い切って挑戦してみることにしました。

    震災被害が大きかった相双エリアの病院だから「暗い表情で必死に頑張っている」という思い込みとは裏腹に、実際に来てみるとスタッフみんなが「気さくで明るい」ことに驚きました。不慣れな私にも丁寧に業務を教えてくれますし、あまり規模が大きくないせいなのかチームワークが病院全体に行き届いています。仕事で関わるすべてのスタッフが「よりよい医療を届けたい」と同じ方向を向いているのが伝わってきました。

    結婚して子どもがいる女性の看護職も、前向きに夜勤をこなしています。厚生病院は、男女の別なく「夜勤は月に8回まで」と働く人の健康を守るルールが徹底していています。もちろん休日もきちんと取れるので、私は野球チームの大会に合わせて月に2回は塙町に帰るようにしています。

    野球で培った体力は仕事に生かすことができる上に、試合が終わったら「また仕事をがんばろう!」と気持ちが切り替わるので、身体と心のバランスを上手くとることができています。

  • 経験を積み重ね、自分なりの看護観を磨く

    野球を続けてきたことや、ふるさとの塙町を大切に思う気持ちなど、看護は「自分自身」を生かせる仕事です。様々な経験があると、患者さんとの会話の幅を広げることができます。

    毎日、ちょっとしたコミュニケーションを取ることで、患者さんの声の調子や顔色の変化に気付くことがあります。また「回診では言い出せなかった」というような患者さんの不安な心の内を聞けることもあり、早めに対処することで、より効果的な治療にもつなげられると思うのです。

    看護師になったばかりの頃は「女性の看護師は自然と細かいところに気付けるのに、自分はできない」と悩みました。その度に信頼できる先輩に話を聞いてもらったり、様々な意見を聞きながら、自分なりに消化して今があります。看護師一人一人の考え方はそれぞれ違います。これからも多くの方たちの話を聞いて経験を積みながら「自分なりの看護観」を磨いていくつもりです。この病院でも、尊敬できる看護職の皆さんに囲まれて、大いに「成長」させてもらっています。

    (写真・秋山看護部長と)

取材者の感想

男性ばかりの野球部から、女性が圧倒的に多い看護職へ。石井さんが看護師を目指したのは、介護職として働くお母様に勧められたことがきっかけだったとか。

小学校高学年から「向いていると思うよ」と言われ続けた看護の仕事に就いて11年目。『鹿島厚生病院』に来て半年の間に、石井さんは病棟を明るくする貴重なムードメーカーになっていました。何ごとにもまっすぐ全力で取り組む姿勢、きちんと周囲の人を尊重できる本質をお母様は見抜いていたのかもしれません。

「一人前になってふるさとに戻りたい」とフットワーク良く動き、学び続ける石井さん。看護のジェネラリストとして地域医療を支える未来の姿が目に浮かびました。

ライター 齋藤真弓
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