INTERVIEW

看護師インタビュー

地域密着型病院に出向し自分の「看護観」を確信

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医療法人社団 青空会 大町病院 東京大学医学部附属病院より出向

松下 紹子さん

マツシタ ショウコ

Profile

今年6月から2ヵ月間、福島県の「技術指導型在籍出向支援事業」で大町病院(南相馬市)に勤務されている松下紹子さん。ACLSプロバイダー(二次救命処置提供者)でもあり、今回は「急変時の対応」などについての講習を大町病院で行う予定とのこと。20数年間にわたり大学病院に勤務してきた松下さんの目に、福島県浜通りの「地域密着型病院」はどのように映ったのでしょうか。

  • 心にしみた言葉「ありがとうな」

    東日本大震災の直後から「被災地のためにできることはないか」と考え続けていました。私が役に立てるとすれば、やはり「看護」しかないのですが、まとまった休みを取ることは難しく、あっと言う間に6年が経っていました。そんな気持ちを引きずっていたので、今回の事業に直属の上司(若命真裕子さん/2月から3月まで大町病院に赴任※「福島県からのトピックス 技術指導型在籍出向支援事業を紹介します」参照)が一人目の出向者として派遣されることを聞いて、これはチャンスだと思い、「それ、私も行きます!」と自ら手を挙げました。

    不安がなかったわけではありません。大学病院の勤務が長かったので、地域密着型の病院に順応できるのかと不安もありましたが、1週間もすると慣れました。その理由は、多少方法は違っても、どの病院でも「看護」が目指すものは共通だからだと思います。例えば、「日中ではなく、夜に眠ってもらえるようにするにはどうすればいいだろう」「元気になってきたからシャワー介助をしよう」など、本当に些細なことであっても、患者さんに良くなってもらいたい、少しでも快適に過ごしてほしいという思いが根底にあるのは同じです。

    大きな違いといえば、『大町病院』は地域密着型病院なので、「家で介護できる状況にあるのか」といった退院後の生活まで考えながら、スタッフの皆さんが患者さんに密接に関わっている点です。大学病院では、リハビリ病院や療養施設につなぐことが多いので、退院後の患者さんの生活はほとんど分かりません。この病院には、患者さんの生活背景まですべて包み込むような看護があります。医療従事者と患者さんの間に信頼関係が築かれていますし、地域性もあると思いますが、患者さんから「ありがとうな」という優しいイントネーションの言葉が自然に繰り返し出てくることが、とても心にしみました。

  • 急変時に看護師ができること

    私が学生だった頃に目指していたのは「こういう看護だった」と、『大町病院』で思い出しました。ゆっくり患者さんに向き合って足を洗ったり、方言混じりの言葉で会話したり…改めて看護が楽しいと感じましたし、看護師は患者さんにとって一番身近な存在だと思いました。排泄や食事など、すべてのケアをしているからこそ、小さな変化を感じて治療につなげられるのです。

    私が最初に大学病院の救急救命センターに勤務したのは27歳の時でした。新卒で就職した名古屋の総合病院では、脳神経外科に配属され、手の施しようもないまま亡くなっていく患者さんを目の当たりにしました。言葉で訴えることができない患者さんの状態に少しでも早く気づいて、的確に対処できるようになりたいと思うようになったのが救急救命を志した大きなきっかけです。「急変時に看護師ができることを学びたい」一心でスキルアップし、今があります。私の目標は、救急救命のエキスパートというよりも、「急性期から慢性期まで看ることができる看護師」です。おそらく私の看護観は、この先もずっと変わらないだろうなと思います。

    今回『大町病院』でも、急変時の対応の講習をすることになっています。この病院の特性として、入院されている患者さんはご高齢の方が多く、ご家族と事前に話し合いを重ねて、亡くなる時は静かに看取るケースが少なくありません。「急変対応」は多くありませんが、看護の現場ではなにが起こるかわかりませんし、ご家族のことも含めて何ができるか、『大町病院』の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。(写真左/大町病院看護部長・藤原珠世さん)

取材者の感想

今回の取材の中で、一番心に残ったのが「患者さんが“生きたい”と思えるような看護をしたい」と言う松下さんの言葉です。「命を助けるという大きなことばかりではなく、看護師は“生き続ける”きっかけや、力になることもできる」といったお話の中に、看護師という仕事に対する揺るぎない信念を感じました。具体的には、少しでも患者さん自身ができることを増やしていくこと。例えば、車いすに座ることができた、トイレまで行くことができたと言うような小さな目標であっても、支えながら着実に積み重ねていくことで前向きになれる患者さんが多いそうです。

松下さん自身も、目標を掲げて努力を続けてきた人です。「親に経済的な負担をかけず自立したい」と、長崎県壱岐市から愛知県名古屋市に出て働きながら看護師資格を取得。当時を振り返りながら、『大町病院』をはじめ、福島県浜通りの病院で実施している就職支援事業を高く評価されていました。「『大町病院』は、看護助手を准看護学校に送り出しています。私の地元にも当時こういった制度があったなら、九州で看護職になることができたかもしれませんね」。長く住んでいると見えなくなりがちな「地元の良さ」を、松下さんは赴任中さらに見つけてくれそうな気がします。

ライター 
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