INTERVIEW

看護師インタビュー

新たなスキルを取り入れ希望のもてる看護に

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公益財団法人 金森和心会 雲雀ヶ丘病院 肥前精神医療センターから出向(写真右)

中村 一孝さん

ナカムラ カズタカ

Profile

今年5月、技術指導型在籍出向支援事業により肥前精神医療センター(佐賀県吉野ケ里町)から雲雀ヶ丘病院(南相馬市)に赴任していた中村一孝さん。雲雀ヶ丘病院の総看護師長・鎌田宏さん(写真左)同席のもと、事業の取り組み内容や感想について聞いた。

  • ストレスを減らす心理的アプローチ「アサーション」

    ーーー雲雀ヶ丘病院のある南相馬市、また浜通り地方の印象は?

    中村:九州にいると「被災地は復興が進んでいる」という報道に接します。今回、訪問看護に同行して、避難解除から日が浅い南相馬市小高区や浪江町に行きましたが、日中の商店街にほとんど人がいないことに驚きました。働く世代が流出してしまい「まだまだ大変な状況にある」ということを知らない人が多いと思います。この現実を、地元に戻ったら広く伝えたいです。

    鎌田:中村さんには、訪問看護に1日同行してもらい、その他は主に病棟で患者さんや職員とのコミュニケーションをお願いしました。当院は精神科ですので、コミュニケーションのスキルが大変重要視されます。技術指導の勉強会については、中村さんと相談して、心理的なアプローチの一つ「アサーション」をテーマにすることにしました。

    ーーー「アサーション」とはなんですか?

    中村:自分も相手も大切にする「自己表現」のコミュニケーションです。患者様への対応だけではなく、職場の同僚との関わりにおいても「自己犠牲」を減らし、わずかでもストレスを軽減していくことを目指します。肥前精神医療センターには、医療観察法の病棟があります。私は平成18年の病棟立ち上げ時から関わってきました。心身喪失などの状態で重大な他害行為のあった患者様に向き合いながら日々社会復帰に向けた支援を続けていますので、看護職員にも相当なストレスがかかります。そのような中で、より良い看護を目指して、心理療法士と看護師が一緒になって心理教育を重ねてきました。

    鎌田:ドクターや他の医療職のスタッフに対しても、看護師としての立場をある程度主張しながら、相手の立場も尊重するというようなことですね。

    中村:私自身も経験していることなのですが、相手に自分の気持ちを正直に伝えると最初は一時的に摩擦が生じ、緊張も強まることがあります。しかし、乗り越えると「信頼関係」ができるのです。例えば患者様に対しても人間同士として、自分が感じたり考えたりしたことを素直に率直に返します。つまり「自己一致」を意識するということです。自己一致を重ねていき、患者像をつかむことで、我々は自信をつけていくことができます。患者様は、すべてを受け入れ気遣ってくれる看護者に満足感を得て、この関係性の中で患者様が意思決定する力を取り戻すことができます。

    ーーーややもすれば献身的な看護は、「自己犠牲」を生みがちです。このスキルによって看護師が自分を大切にすることができれば、離職の予防にもつながりそうですね。

    中村:「自己犠牲」の看護は例え一時的には上手くいっても、長続きはしないものです。いずれは燃え尽きてしまう人が多数出てきます。震災以降、この雲雀ヶ丘病院をはじめ浜通り地方の医療機関スタッフは大変な状況の中で、地域の医療を守り支えてこられました。そのストレスは我々にも計り知れないほどだと思いますが、私の経験や知識が少しでもお役に立てればうれしいですね。

  • 「外部の人だからこそ見える」病院の個性に刺激を

    ーーー中村さん自身が、今回、雲雀ヶ丘病院で学んだことがあれば教えてください。

    中村:たくさんありますが、中でも「情報の共有」が一番です。雲雀ヶ丘病院では、朝夕の交代時の申し送りだけではなく、昼食の前後にも集まって患者さんの状態を報告し合っています。これは、とても良いことだと思いました。看護師が廊下ですれ違い様に情報交換するのではなく、5分程の短時間でも職員が集まって状況を把握していくことで、効果的な看護介入ができています。

    鎌田:当院は、「チームナーシング」と「受け持ち」の両方があるので、患者さんの状態の変化や医師からの処方は、他のスタッフにも常に分かるようにこまめな情報共有をしてきました。

    当院が今回のように外部の看護職を受け入れるのは初めてのことです。これまで自分たちが続けてきた精神科看護について意見交換したりアドバイス等をもらえたことは、良い刺激になりました。

    特に震災からずっと、私たちは地域の精神科医療を支えていくため自問自答しながら看護をしてきています。これからどんな形で地域の精神科医療が変化していくのかは分かりません。さらに10年、20年先まで続けていって、振り返った時に、みんなで取り組んできたことの結果が見えてくるのだと思います。

    中村:正直なところ、あのような震災と原発事故に見舞われた場合に、自分自身に置き換えてみると「どうするだろう」と考えても答えがでません。大変な時期を乗り越えてこられた雲雀ヶ丘病院の職員の方たちには、様々な場面で、強い絆を感じました。

    医療安全や感染予防についても、「より良い方法を」と日々努力されている様子が分かりましたし、インフォーマルに多くの意見交換をさせていただきました。受け入れてくださった雲雀ヶ丘病院に大変感謝しています。またいつか雲雀ヶ丘病院に戻ってきたいと強く感じています。

取材者の感想

中村さんは福岡県久留米市出身の58歳。26歳で精神科の病院に看護助手として就職し、働きながら看護師資格を取得しました。肥前精神医療センターには平成6年から勤務しています。

実は20代始めまで、音楽で身を立てようとしていたそうです。なかなか芽が出ず迷い続ける姿を見た母親から「人の役に立つ仕事をしなさい」と言葉をかけられて看護職に就きました。「その言葉が、30年以上経った今でも道しるべになっています」と中村さんは話します。

東日本大震災の直後には、心のケアチームの一員として岩手県宮古市で被災者のメンタル支援に参加。地元に戻ってからも「自分にできることはないか」と考え続けていたところに、出向の案内が届きました。今回は2週間ではありましたが、背中を押してくれたのが、AKB48のヒットソング『365日の紙飛行機』だったそうです。

「昔から秋元康さんの歌詞が大好きでした。この曲の歌詞を聴いて、自分が納得できることが大事と確信できたんです」と中村さんは照れながら話してくれました。

「その曲は私も好きですよ」と応えていた鎌田総看護師長の言葉も思い返しながら、改めて曲を聴いてみると不思議なほどに、前に進むための気力が湧いてくるのを感じました。

ライター 
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