職場の「やりがい」が地域の医療を支える
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南相馬市立総合病院 副院長兼看護部長
五十嵐 里香さん
イガラシ リカ
Profile
会津杏林学園高等学校衛生看護専攻科卒。会津中央病院や南東北病院での経験を活かし県内外の病院で管理職を務め「看護師不足解消」と「看護の質向上」に取り組んできた。2016年4月から南相馬市立総合病院の看護部長に就任。
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看護師の約6割が震災後の採用
南相馬市立総合病院は、二次救急として相双地域の医療ニーズを担う地域の拠点病院です。23科目の診療を行っており、230床の許可病床で現在約150人の看護師が働いていますが、約6割が震災後の採用となっています。
原発事故の影響により、子育て世代を中心に多くの看護師が南相馬市を離れました。それから5年が経った今、「もう一度、働きがいのあるこの病院で働きたい」と戻ってきてくれる人も何人かいて、うれしい限りです。
医療現場は日進月歩で、一度現場を離れると「はたして復帰できるだろうか?」という不安がつきまといます。当院でも震災後に「電子カルテ」を導入するなど、大きな変化がありました。それをフォローすることができるのが「ラダー」という院内の教育制度です。能力に応じて段階的に必要な知識や技術を学ぶことができる「ラダー」は、すでに実践している病院も少なくありませんが、当院では震災後に本格的に導入しました。さらに、先輩看護師が一対一で新人職員を指導する「プリセプターシップ」を中途採用の職員にも適用しています。
昨年度から看護師の採用担当者が二人、病院に配属されました。採用活動のほかに、高校生を対象とした看護ガイダンスを実施し、看護師の魅力などを学生に伝え、将来に向けた取り組みなども行っています。
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認め合い働き続けたい職場に
当院への就職を希望して来てくれた学生さんにその理由を聞くと、多くの方が「実習に来て、ここで働きたいと思った」と答えます。指導にあたった職員の優しさや気配り、看護に対する熱い思いに心を打たれ、「こんな看護師になりたい」と思ったという人が多いのです。それだけ、当院の看護師には、学生の心をつかむ力があるのだと思います。
教育制度や福利厚生はもとより、長く働き続けるには、一緒に働く「人」が大事です。ここには、人の喜びも自分のことのように受けとめ、細かいところまで気遣い合う人間関係があります。私自身も今年の4月に就任したばかりですが、本当に「来てよかった」と実感していて、ここに骨を埋めてもいいと思うくらいの気持ちになっています。就職説明会では「一度でも病院に来てもらえば、必ず魅力を分かってもらえます」と自信をもって伝えています。
看護師に必要なのは「明るさ、優しさ、心の豊かさ」だと私は思っています。技術や知識は、先輩たちに教えてもらえば後からでも身につくものです。最初は自信がなくても、「褒められる」と人は本当に変わります。認められたことが自信になって、次の一歩が踏み出せるようになるのです。そのことを当院の管理職はよく理解しています。「ダメだダメだ」と言い続けても、絶対に人は育ちません。私自身、30年以上の看護師経験を踏まえても間違いのないことです。
今回、私は今までにないほどの大規模な人事異動をしました。看護副部長や師長、主任として新しいポジションについた人も、周りの人の支えを受けてがんばっています。仕事ぶりを評価することで、成長していけるのは管理職も同じことです。私の役割は、小さなことでも励ましの言葉をかけ続けること。「明るくて、楽しくて、やりがいのある病院」の中で、みんなが生き生きと働いてくれることが、私の一番の願いです。
平成29年2月には、併設の「脳卒中センター」がオープンします。100床ありますが、看護スタッフを増やして教育をしながら、少しずつ稼働病床数を増やしていく予定です。同時に、24時間体制の救急部門がスタートします。現在は外来診療のみ再開している「小高病院」も、住民の本格的な帰還が進めば、看護職の体制も改めなければなりません。
これまで以上にマンパワーが必要になっていくこの病院にとって、看護師をはじめスタッフは大切な財産です。増員には採用も大事ですが、優先すべきは「辞めたくない環境」を整えることです。「すべては地域のために」。看護師が「働き続けたい」職場づくりを続けることで、これからも自分なりに地域医療に貢献していきたいと思います。
取材者の感想
小柄ながらパワーあふれる五十嵐部長は、これまで数々の病院で看護師不足を解決してきたカリスマ的な存在。東日本大震災の際には、東京の病院にいて「何もできないもどかしさを感じていた」そうです。
震災から5年目のオファーに「行くしかない」と決意。暮らし始めて驚いたのが、人の温かさでした。「職員だけではなく、ここで出会う人たちがみんなひたむきで、一生懸命で。地域の人のために、がんばらなければならないと思いました」。これまでは全く縁のなかった南相馬市に、日々愛着が増していると言います。
今は天職と感じている看護職ですが、これまで迷いがなかったわけではないとか。新人の頃に配属された救命救急センターで感じた「知識と技術が伴わない自分」へのもどかしさ。28歳の若さで管理職を任されて試行錯誤したこと。熱を出した子どもを託児所に預けて仕事に行く時の後ろ髪引かれる思い…。そういった全ての経験が自分を作っていると五十嵐部長は言います。自分自身が「こういう病院で働きたい」と思える職場づくりを続けてきて、今があるのです。
「ともかく人と関わることがすき」、「いつも相手のいいところを探している」、「職員みんなが大好きだから笑顔でいてほしい」。ひまわりのような明るさで周りを照らす五十嵐部長の言葉には、大きな愛が感じられます。いつの間にか周りの人を前向きにしてしまう、「言葉の力」についても改めて教えてもらった気がします。
ライター 齋藤真弓